また、やってしまった。
気づけばシャーペンめっさ走ってた。取り敢えず熱の冷めないうちに転載しとく。
後から見てうわー中二病とか思うんだろうきっと。でも此処はおいらの成長ブログでもあるからいいんだそれで。
以下、大変残念な高二病患者がお送りする戯言シリーズ。(極力続かないで欲しい)
”自由”になりたい。そうは思ってもどのみち実現しないのだろう。(自由とか言い出すとまた二元論とかややこしくなるんでしょうか。)”自由”は束縛そのものであった。結局道を外すだけの勇気はなく、どう足掻いたところで同じ結論に至るであろう。(そもそも外世界の自分から見た”自由”も実際はそのありのままでは無いだろう。)
その気になれば何処にだって入れるし、何だって出来る。ただそれは、’自分’がその気になってくれるかどうか、だけであった。
最終的に、「真の在り方」を望む’自分’には打ち勝つことは出来ない。何に勝つことが出来ようとも。それは’自分’がこの世で最も強く、絶対的な存在であるからだ。しかし、その’自分’にとって最悪の事態がであった。幸いにして、そして最大の不幸にして、ある程度の素養=学力が自分にはあった。周囲の期待に背くのは大変な難題である。妥協を生むしかないのだ。(そもそも”自分”とは「反発」による快楽を求めているだけに過ぎないのかも知れないが。)
「うぬぼれでも何でもいい。’自分’に素直にやり切った者が優れている。精神論でなく、現実の事実として。絶対的な’自分’と組めば恐れるものなど何一つない。そもそも恐れる必要も無い。」とも思うのだけれど。これは行き過ぎた悪魔の囁きであろう
仮にまともな道を歩んだとしても、途中で投げ出してしまうかもしれない。その心算でいるのかもしれない。それなら初めから、とも思うが合格したという称号(免罪符)は欲しいというのも都合のいい考えである。
少ない過去を振り返ってみて、本当に自分のやりたいようにやってきたと思うし、人並み以上に遊んできた意識を持っている。それでも堕ちることなく事態は良い方へ良い方へと転じた。遊びの影で実は人以上の努力をしてきたのだろうか。そこが謎であり、落とし穴のようでもある。
要するに、この年になって未だに全能感の喪失が感じられないのだ。モラトリアムとも違う気がする。これは危機だ。命が幾つあっても足りん。
因みに小学校の卒業式の一言にはこんなことを口走った ――― 何かデカいことをやらかしますと。
今でもその気持ちはそのままだし、実行するだけの自信が自身にある。 (
だまれ見栄を張りたい血族なので目立つことはしたいと思うから。することは正当な評価において認められたいと思うから。 建前と向上心が自分を創りあげたのか。
この先の人生もこんな感じで義務と快楽の両立が出来るのなら社会の最小単位としても個人としても最良なのであろうが、果たしてそれは希望的観測に終わるのだろうか。
「後一年だけ辛抱すればいいじゃない」 そう自分でも言い聞かせるが、届かない。今まで自由に生きてきた人間なんて所詮そんなものだろう。(主観的に見ても確信できるほど真剣に)努力をしなくてもある程度のところにはいけるだろう、なんて自惚れがあってもある程度のところには行けるだろう。(本当か?無限ループ。)でもそれは自分にとって敗北であり、許さないだけのプライド(どっから沸くのやら)があった。環境が創りあげた第三の自分であろうか。(これは天使なのか悪魔なのか)
唯一つだけ確信して言えること。運命の出会いがあるとすればそれは、成り行きで生まれた今の(そしてレールの先の)自分ではなく、物心ついたときから既にあった(生来から持ち続けてきたであろう)確かなる未来のVision.’自分’が生まれ、育ち、朽ちていくのは研究室ではなく音の流れの上に。「結局人を救うのは机上の理論よりも音楽の力」ある人はそういった。(塾の講師が言うなよ)
余談、最近は何かにつけて旋律とリズムパターンが頭から沸いて出てくる。これは末期だ。
芸術を仕事とするのは難しい。社会は結局は大衆によって動かされ、この最大の構成要素がそれを好意的に見ない。芸術は遊びであり、娯楽の表現であり延長である。芸術の受け手はそれを娯楽としてしか受け取らないだろうから当然である。少数派であることは難しい。孤独を苦とする人種なら尚更である。
芸術は人材そのものが全てであり、努力は大きな意味を成さない。これが一般的な考えであろう。そのため学問として扱われることはなく(成立しない)結果として社会的に冷たい目線を浴びる立場となる。それでも大学に入るとかよりは余程難しいだろうけど。
"鏡"だけしかないゼロのフィールドから生み出すものが外の世界に受け入れられなければならない。それが芸術の最も辛い点だ。取っつきにくさ最大限である。
話が逸れた。結局自分の立場に立ち返るならば、音楽に携わらんとすることは絶対である限り、収支を合わせるには相対的である学力の向上に妥協するという点しかない。
楽観すれば今まで通り両立、いや、全立して行けば良いのだが。
結論:進路が決まりません。
完璧主義は本当に有害無益である。とにかく頑張って、明日の自分。(終・続)
あーめがっさ自己満足した。所詮此処はそれが目的の場所。自己満足に始まり、他が満足するという自己満足を経て自己の自己満足に至る訳です。自己満足によって更なる満足を得ようとしているのではという説もありますが、他はそれほどぬるいものでも無いですよね。ちょっと崩壊してきたところで終了ー。 うわ眠っ